某ゆきの嬢(L16)

7月 12, 2016

昨宵は塩尻のオンザロードにて。

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東京から、某(それがし)ゆきの嬢が、長野ツアー初日、ぶっぱなしました!!!

ライブのはじめからおわりまで、ゆきのさんから放つパワーに打ちのめされ。

・・・嗚呼、たのしかった!

 

ゆきのさんの前には。

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ミッチー&あんちゃん♪

初共演でしたが、オリジナルもカバーも、めっちゃかっこよかった!

また共演したいな。

 

そして、わたくし、今回が復活ライブ♪

トーメ☆FUKUで、精一杯、唄わせていただきました。

やっぱ唄えるって、いぃね☆

 

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オンザのなおみママ、主催のたかよちゃん、PAうめむらくん、ありがとう!

ミッチー、あんちゃん、ゆきのさん、トーメさん、ありがとう!

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2016上半期から下半期へ~6月振り返り&7月松本ただいま!~

7月 3, 2016

今年の6月は、本当にいろんなことがあった。

先日ブログで、わたしの入院生活を綴ったが、退院後、わたしは今日の朝まで、実家の栃木で過ごした。

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退院後の生活について、看護師さんからも話があった通り、雨が強く降った日以外は父とウォーキング。

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季節の花を愛でたりもしました。

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おいしいごはんも食べて、力をつけました。

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懐かしい代物をみつけ、興奮したりもしました。

 

本当に、ゆっくり、まったり、マイペースで過ごさせてもらいました。

支えてくれた家族、友人、職場仲間、本当に感謝感謝です。

 

そして、7月1日から復帰すべく、前日に松本へ帰ろうとしていた矢先。

6月30日未明、父が寝ているわたしを起こし、父とわたしは病院へ。

そして、ついにその時がきました。

 

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妹が出産!!!

出産に至るまで、妹の声はわたしと同じようによく通るので、陣痛の痛みとともに妹の声(叫び)が病棟に響いていました。

わたしはただただ、安産であって欲しいと祈っていました。

出産後、出血が多かった妹との面会は、分娩した分娩台の上に、ひとりずつと言われ、妹の旦那さんの次に、わたしが行ってきました。

そして、・・・ふたりで泣きました。

いろんな気持ちが溢れました。

双子の妹よ、本当に、本当によくがんばった!

 

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嗚呼、かわゆい☆

本当にかわゆい☆

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小さな命に、両親もおどおどしながら、でもしあわせそうに、抱いていました。

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すくすく育ってね☆

 

そして今日、わたしは両親に送られ、松本に戻ってきました。

10日ぶりの松本は、少し遠くに感じられたけど。

 

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松本の友人とバースデーパーリー♪

かに座のみなさま、おたんじょうびおめでとう!

そして、わたしの快気祝いも合わせてしてもらい、本当にしあわせです☆

これからもよろしくなのだぁ!!!

 

さて、明日から仕事復帰。

無理せず、でもまたひとつずつ、大切に、歩いて行こう!

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39福子の入院生活4

6月 23, 2016

(入院生活3からの続き)

6/21

昨日よりも眠れ、少しお寝坊さん。といっても6時過ぎ。起きて洗面、歯磨き、シャワーを浴びるためにホワイトボードに名前を書く、朝の院内散歩、朝食まで読書等で時間をつぶす、途中母からのモーニングコール、・・・という流れも定着しつつある。が、明日退院!明日までしっかり入院生活を送ろう!と、ひとり意気込む。

わたしの入院している病棟は小児科もあるため、子供たちの声や、子供たちと行き交うことになる。入院が必要となるくらいの病気をかかえ、彼らはここで療養生活を送っている。もちろん、仕事でこの病棟に入り、子ども、そして親とふれあうことはあったが、今回よりリアルな生活が自分の眼にうつった。

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今日も新病棟建設現場は、照らす日射しの中忙しなく動いていた。空高く舞うクレーン、さすがにみあげてしまう。たくさんの機器を使いながらも、現場を動きまわる職人さんたちの築きにより、日に日に景色が変わっていく。平成30年にはどんな建物になっているのかな。

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お昼はなんと鰻が出た!栄養部さんからのメモで「国産鰻(愛知県産)ですので安心してお召し上がりください」とあった。病院で鰻をかみしめた。

そして火曜日午後は、教授の総回診。わたしは先週と今週、手術前と後、回診となった。回診中は病棟全体の空気が緊張に包まれる。診療科のトップの先生が歩くというのはそういうものなんだな。教授がくる手前で患部をすぐみてもらえるよう看護師さんとともにスタンバイ。そして、教授がやってくる。「おつかれさまでした」といい、お中にポンポンと聴診器をあて、「うん、いいね」「また仕事がんばって」と話された。わたしは終始「ありがとうございます」を繰り返した。

午後から夕方にかけての時間帯。院内をウォーキング。だいぶリズミカルに歩けるようになってきた。途中渡り廊下わきのデッキに座り、外の空気を吸った。

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建物の隙間からみえる空。何を考えるわけでもなく、しばらくみあげていた。

夕食を食べ、再度院内ウォーキングをし、ベッドでまったりする。白天井をみあげ、手術後かえってきた時に見上げた感覚とはまるで違う自分が、1週間の時を経てここにいた。なんとも不思議な気分でもあるが、回復していく自分の身体への愛しさ、そして、家族、親戚、職場仲間、友人、病院スタッフのみなさまへの感謝が込み上げた。

明日退院。さて、今夜は眠れるかな。

 

6/22

22時過ぎくらいに眠りについたのかな。その後2時間おきに起きるという正確さをみせ、5時すぎから動き出した。

本日、いよいよ退院です!

6時すぎに採血にきた夜勤の副師長さん。「こぼりさんは(ソーシャルワーカーの)お仕事長いんですか?」と話しかけてくれた。夜勤は12時間勤務、少人数でたくさんの患者さんをみなければならない夜勤帯、きっと次の仕事も目白押しだろう中、わたしの話を持ちかけてくれ、その後新病棟建設の話、地域とのつながりの話等をした。もちろん長時間ではないが、いつもクールな雰囲気の副師長さんとお話ができたこと、これからのつながりを感じた。

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今回の入院での最後の食事。食べられることのしあわせをくれた病院食に感謝☆

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わたしの食上げ遍歴もパチリ。

もろもろ片付けをしているとメール。「下のタリーズでコーヒー飲んでます」なぬ!両親もうついたのか!早っ!タリーズに行くと大きくて生クリームどっさりのホットケーキをふたりで頬張ってました。元気ですわ。

看護師さんから退院指導、薬の処方、退院前診察でOKが出て、退院!

お世話になった病棟にあいさつし、職場にもよって、病院をあとにしました。

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今回の入院は、手術もあり大変だったけど、いつもよりもゆったりした時間の中で、ある意味冷静にことを受け止めたり、感じたりできたような気がします。そこにはまず身体が元気であること、これが基本となり、食べられること、話せること、思いをはせること、こうしたいああしたいがあるんだな、としみじみ思います。

また病院のイメージはひとそれぞれ、さまざまだと思いますが、今回の入院でわたしは、患者、その家族、医療スタッフが共になり、「生きる場所」として機能していることを肌で感じました。わたしは病院職員として働いていますが、今回は患者という立場で過ごせたことで、今後の仕事の在り方も以前と違ったものがみえたり感じたりすることができると思いました。

そして、やはり、「ひとりじゃない」こと。これがわたしの生きる力となることを、強く思いました。

みんなみんな、ありがとう☆

こころから感謝ですm(__)m

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入院期間2016.6.13~2016.6.22

手術日2016.6.15(2時間52分)

読んだ本:疾風ロンド、えびすの論語、天才、ソーシャルワーカーの力量を高める理論・アプローチ(途中)

読んだ漫画:ピアノの森(1~13)、バックレバークレーボーイ(1~9)

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39福子の入院生活3

6月 23, 2016

(入院生活2からの続き)

6/19

昨日の夜に「天才」を読み終え床につくも、なかなか寝つきが悪く、浅い眠りのまま朝を迎える。夏至に近づくこの季節、日がのぼるのが早くて朝も早くくる。

昨日よりお腹の痛みもなく、ひょうひょうと病室内を歩いてみせた。・・・誰も見る人はいないが。

わたしはお腹のキズを保護するために「腹帯」という名の腹巻きをしているのだが、昨日からはこちらを巻いている。

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職場仲間から洗いがえにとプレゼントされたもの。みての通り、色とりどりだ。そして今日、この腹巻きを看護師さんにみられた。「お腹の音ききまーす」って時に。看護師さん大爆笑。10秒もあれば終わることを3分くらい笑ってた。「こぼりさんて面白いですね」・・・違う。この腹巻きは頼んでいない。のに、わたしが面白くなってしまった。

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お昼から七分粥になった。七分になるとこんなに豪華になるのか。たまたまか。今年初のスイカ、甘かったなぁ。

午後はお見舞いにきてくれた方々が。

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むぎちゃん、かじさん。そして、写真にはうつってないけど、同期のいとうさん。同期のいとうさんはわたしの入院を今日知って、その足できてくれた。みんな職場は違えど、ソーシャルワーカー同士。ワーカーとしての話もでたり。でもやっぱりおもしろ話あり。隣のお客さんが「コーヒーこんなにあったら飲みきれないわ」と、自分たちのマグカップコーヒーを、うちらの空き紙コップにうつしかえるという荒業に、腹の虫ならぬ腹のキズが泣いていた。でもみんなとはなせて、こころがすうっとしたよ!ありがとう☆

病室に帰って、今日の担当でわたしの担当でもある看護師さんと少し長めにお話した。わたしのくだらない話にもケラケラ笑ってくれる、やさしい看護師さん。平日は忙しくて患者さんと話ができないと言っていた。日々の業務とやりたいこと、両立って大変だなぁとあらためて思ったし、そんな中でもいつも微笑みを忘れない看護師さんたちはすごいなって思った。

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今日いただいたり、貸していただいたもの。「ポポロ」はいとうさんチョイス。さすが!みんなありがとうね!

 

6/20

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病室から外を眺める。今日は暑くなりそうだな。そうだ、朝のうちに、院内散歩をしてみよう。

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1階と外来棟はとても静か。朝6時前、当たり前か。ここまで歩こうと思えたことに、自分でも回復進行中を感じた。でも、無理は禁物!

部屋に戻り昨日もらったポポロを眺めつつ、朝食の時間。

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今朝から全粥!食形態も回復中。

その後先生たちがきて、予定通り明後日退院でと話があった。少しして主治医がお腹のキズ、お腹の音をチェック。順調とのこと。胸を撫で下ろす。そして、メールで両親に報告。

シャワーを浴びて、洗濯をして、読書して、少し休んで。院内でのわたしの日常をすすめた。

お昼ごはんの後、院内にあるタリーズへ。

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コーヒー屋さんだけど、紅茶にした。ここで読書タイム。いつもだったらタリーズ横目に病棟へ向かうのに、今日はここで読書をする。きっとわたしの後ろを、仲間たちが歩いて病棟へ向かっているんだろうな、と思いながら。

そして、夕食から・・・。

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常食になった!1週間振りの普通食。食べられることのしあわせを咀嚼に込めて噛み締めた。

就寝前、日勤だったわたしの担当看護師さんがきて、退院してからの生活について説明があった。規則正しく、無理のない生活をと、プリントを参照しながら。プリントに書いてなかったりわたしが気になることは、直接先生に聞くことに(唄って大丈夫かとかギターを担いでいいかとか・・・)。真剣に聞きますよ。

やっぱりまだ腸の動きが万全じゃないな。ウォーキングを推奨されてるけど、歩いた後キズに響くし。身体と相談しながら、やっていこう。

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39福子の入院生活2

6月 23, 2016

(入院生活1からの続き)

6/16

夜が明けて、病室の状況を確認。昨日帰ってきた時にも感じていた、手術前にいた個室とちがう、ということが確実にわかった。

8時過ぎ、両親が病室へ。「調子はどう?」と聞かれ、「大丈夫」とは言ったものの、「このワンプッシュ麻酔、痛いときにボタン押すように言われたけど、押すとやっぱり気持ち悪い」と重ねた。腰椎に刺さった管に直接麻酔を入れるというシステム、ベッド左の傍らに置かれたプラスチック容器に入った麻酔が、24時間わたしの痛みをとってくれていたのだが、やはり昔も今も、わたしは麻酔との相性が悪いらしく、吐き気止めが入っているとはいえそれはあまり効いていないようだった。

そのうち父がタイムリミット。「我慢しないで」と言いながらかたい握手。ありがとう父!

午前中のうちに主治医がきて、「歩いてみましょう」との声が。これは術前説明で聞いていたから、がんばるしかないと、身体をふたりに支えられながら起こし、両足を地につけ、立ち上がる。「すごいね!その調子」との掛け声に俄然やる気を出し、ゆっくり、ゆっくり、歩を進めた。5mほど歩き、「はい、いいですよ、戻りましょう」よくがんばった!と、たった5mの自分を誉めた。

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術後翌日から食事が出た。わたしのリスタートを飾る初めての食事。でも、やっぱり食べられない。オレンジジュースだけ、半分飲んだ。

お昼過ぎ、その気持ち悪い麻酔もプラスチック容器からわたしの体内にすべて入り、からっぽになった。気持ち悪さはなくなったが、痛みが徐々に増してくる。そして、お腹にはふたつの管から体内の血液などを出すためのものが埋め込まれていた(これをドレーンという)。もちろん見たことはあったけど、初体験。眼からも病人感が滲み出ている。

「歩ける時には歩きましょう」「トイレは尿量をはかって」を、痛みをこらえながら忠実に行っていくことを繰り返した。この言われたことをしっかりやるという気質は、わたしの血液型には当てはまらない。きっと「長女気質」が当てはまるのだろう。30分しか違わない出生時間でも、長女は長女なんだな。

夕食もそこそこに、斜め45度のベッドにもたれ、手術後1日目は終わった。

・・・といきたいところだったが、どうしても右脇腹の痛みが取れず、眠れぬ夜を過ごした。

 

6/17

眠れぬ夜が明けた。せっかくホテルから来てくれた母にも、痛みでいい顔ができない。この痛みはキズというよりガスが溜まっての痛みのような気がして看護師さんに伝えると、「腸の動きをよくするために、歩く感じですかね」やはりそうか。歩くのか。素直にそう思い、点滴台を杖に病棟内をゆっくり2周した。疲れない。でも痛い。

母が「ゆっくりしてな、お母さんあっち(デイルーム)いってるから」と席を外した。嗚呼、わたしは手術をしたのだ。もっと苦しんでいる人もいる。痛みは回復するための通り道。・・・頭はそんなことばかりを繰り返していたその時、出刀してくださったベテラン先生がきてくれた。「どうですかね?」今しかない!この痛みのすべてをぶつけよう!・・・という気持ちで、「なんかぁ、右脇腹がぁ、とても、痛いんですけどぉ」とボソボソと話してみたところ、先生より「それはこのドレーンが入ってるからかもね、今日とっちゃおう」なぬ!この管のせいだったのか?本当か?

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そのあと主治医がやってきて、ベテラン先生から今のやりとりの話があり、わたしは診察室でふたつのうちひとつ、右脇腹にあったドレーンを抜いた。するとお腹が「グルル」と鳴った。わたしはその音を、いや、声を、一生忘れないだろう。程なくして右脇腹の痛みはほぼ消滅。腸の動きも徐々によくなったのでした。ちなみに、エコー検査も内診も、問題なし!おかげでゆっくり眠れた☆

(写真は残りひとつついているドレーンと、血栓予防ソックス)

 

6/18

21時消灯だから、3回目に起きた4時のトイレで完全に眼が覚めた。やっぱり眠れるってすばらしい!と早朝からボーッとし、朝食がくるまでの間に蛭子さんの本を読み終えた。どんな本だったか。うぅん、わたしにそれはのぞめない。活字を読むことが非常に困難(不得意)なので、本を読み終えただけでもやったー!なのである。

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朝食のおかずが、さらにかたちあるものになってきて感動!ひとつひとつが感動だ。

そして、母が来る前に痛み止めを飲んでスタンバイ。やっぱり母は、必ずといっていいほど、おもしろエピソードを持ってくる。今朝は泊まってたホテルの朝食時に、90歳のおじいさんの相手をしてたら、とと姉ちゃんの始まる時間になっちゃった、おじいさんは話が止まらなくて・・・、という話。もちろん、会話の内容を事細かに話してくれたが、それを書くと今でも、キズに響くので。

そして診察室にて診察。ついに、点滴ともうひとつのドレーンが抜け、自由の身に!うれしかった。本当に。そして、その姿を、リアルタイムで母にみてもらえたことも、うれしかった。母は「安心して帰れるわ」と言い残し、13時15分のバスに乗って、病院をあとにした。

ここで「親孝行」の話は暗くなるのは予想できると思うが、なにひとつ、今までも、そして今回も、できていないわたし。両親には本当に頭があがらない。

そして、たくさんの方々からのメール等、本当に力になる。今回メールをいただいた中に、わたしと同じ手術をした方々がいて、その方々のメールには勇気をもらった。これが「ピアの力か」と、職業柄チックに考えたりもした。

母が帰ってから、今朝から読み始めている「天才」を読み、半分過ぎたあたりで景色を眺めた。窓の外をみながら、新病棟建設現場をみてた時、「あ、そうだ」と思いだした。

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音楽プレーヤー。いつも車にのせてるやつを、イヤホンとともにバックに突っ込んできたことを思い出した。ここ数日、人の声と生活音のみだったなぁ、としみじみ。さて、イヤホンとプレーヤーをくっつけて、何を聴こう。何を・・・。

「野狐禅」

ね、元気になってきたでしょ。福子は野狐禅聴けるくらいにまで回復しました。プレーヤーに、ここ数年で出会ったツアーミュージシャンのおんがくを入れてくればよかったと、ちょっと後悔している。なぜなら、入院してから浮かぶ唄たちときたら、彼らの唄ばかりだから。

さて、夕飯も食べたし、寝るまでは生活音と「天才」にしよう。

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