39福子の入院生活2
(入院生活1からの続き)
6/16
夜が明けて、病室の状況を確認。昨日帰ってきた時にも感じていた、手術前にいた個室とちがう、ということが確実にわかった。
8時過ぎ、両親が病室へ。「調子はどう?」と聞かれ、「大丈夫」とは言ったものの、「このワンプッシュ麻酔、痛いときにボタン押すように言われたけど、押すとやっぱり気持ち悪い」と重ねた。腰椎に刺さった管に直接麻酔を入れるというシステム、ベッド左の傍らに置かれたプラスチック容器に入った麻酔が、24時間わたしの痛みをとってくれていたのだが、やはり昔も今も、わたしは麻酔との相性が悪いらしく、吐き気止めが入っているとはいえそれはあまり効いていないようだった。
そのうち父がタイムリミット。「我慢しないで」と言いながらかたい握手。ありがとう父!
午前中のうちに主治医がきて、「歩いてみましょう」との声が。これは術前説明で聞いていたから、がんばるしかないと、身体をふたりに支えられながら起こし、両足を地につけ、立ち上がる。「すごいね!その調子」との掛け声に俄然やる気を出し、ゆっくり、ゆっくり、歩を進めた。5mほど歩き、「はい、いいですよ、戻りましょう」よくがんばった!と、たった5mの自分を誉めた。
術後翌日から食事が出た。わたしのリスタートを飾る初めての食事。でも、やっぱり食べられない。オレンジジュースだけ、半分飲んだ。
お昼過ぎ、その気持ち悪い麻酔もプラスチック容器からわたしの体内にすべて入り、からっぽになった。気持ち悪さはなくなったが、痛みが徐々に増してくる。そして、お腹にはふたつの管から体内の血液などを出すためのものが埋め込まれていた(これをドレーンという)。もちろん見たことはあったけど、初体験。眼からも病人感が滲み出ている。
「歩ける時には歩きましょう」「トイレは尿量をはかって」を、痛みをこらえながら忠実に行っていくことを繰り返した。この言われたことをしっかりやるという気質は、わたしの血液型には当てはまらない。きっと「長女気質」が当てはまるのだろう。30分しか違わない出生時間でも、長女は長女なんだな。
夕食もそこそこに、斜め45度のベッドにもたれ、手術後1日目は終わった。
・・・といきたいところだったが、どうしても右脇腹の痛みが取れず、眠れぬ夜を過ごした。
6/17
眠れぬ夜が明けた。せっかくホテルから来てくれた母にも、痛みでいい顔ができない。この痛みはキズというよりガスが溜まっての痛みのような気がして看護師さんに伝えると、「腸の動きをよくするために、歩く感じですかね」やはりそうか。歩くのか。素直にそう思い、点滴台を杖に病棟内をゆっくり2周した。疲れない。でも痛い。
母が「ゆっくりしてな、お母さんあっち(デイルーム)いってるから」と席を外した。嗚呼、わたしは手術をしたのだ。もっと苦しんでいる人もいる。痛みは回復するための通り道。・・・頭はそんなことばかりを繰り返していたその時、出刀してくださったベテラン先生がきてくれた。「どうですかね?」今しかない!この痛みのすべてをぶつけよう!・・・という気持ちで、「なんかぁ、右脇腹がぁ、とても、痛いんですけどぉ」とボソボソと話してみたところ、先生より「それはこのドレーンが入ってるからかもね、今日とっちゃおう」なぬ!この管のせいだったのか?本当か?
そのあと主治医がやってきて、ベテラン先生から今のやりとりの話があり、わたしは診察室でふたつのうちひとつ、右脇腹にあったドレーンを抜いた。するとお腹が「グルル」と鳴った。わたしはその音を、いや、声を、一生忘れないだろう。程なくして右脇腹の痛みはほぼ消滅。腸の動きも徐々によくなったのでした。ちなみに、エコー検査も内診も、問題なし!おかげでゆっくり眠れた☆
(写真は残りひとつついているドレーンと、血栓予防ソックス)
6/18
21時消灯だから、3回目に起きた4時のトイレで完全に眼が覚めた。やっぱり眠れるってすばらしい!と早朝からボーッとし、朝食がくるまでの間に蛭子さんの本を読み終えた。どんな本だったか。うぅん、わたしにそれはのぞめない。活字を読むことが非常に困難(不得意)なので、本を読み終えただけでもやったー!なのである。
朝食のおかずが、さらにかたちあるものになってきて感動!ひとつひとつが感動だ。
そして、母が来る前に痛み止めを飲んでスタンバイ。やっぱり母は、必ずといっていいほど、おもしろエピソードを持ってくる。今朝は泊まってたホテルの朝食時に、90歳のおじいさんの相手をしてたら、とと姉ちゃんの始まる時間になっちゃった、おじいさんは話が止まらなくて・・・、という話。もちろん、会話の内容を事細かに話してくれたが、それを書くと今でも、キズに響くので。
そして診察室にて診察。ついに、点滴ともうひとつのドレーンが抜け、自由の身に!うれしかった。本当に。そして、その姿を、リアルタイムで母にみてもらえたことも、うれしかった。母は「安心して帰れるわ」と言い残し、13時15分のバスに乗って、病院をあとにした。
ここで「親孝行」の話は暗くなるのは予想できると思うが、なにひとつ、今までも、そして今回も、できていないわたし。両親には本当に頭があがらない。
そして、たくさんの方々からのメール等、本当に力になる。今回メールをいただいた中に、わたしと同じ手術をした方々がいて、その方々のメールには勇気をもらった。これが「ピアの力か」と、職業柄チックに考えたりもした。
母が帰ってから、今朝から読み始めている「天才」を読み、半分過ぎたあたりで景色を眺めた。窓の外をみながら、新病棟建設現場をみてた時、「あ、そうだ」と思いだした。
音楽プレーヤー。いつも車にのせてるやつを、イヤホンとともにバックに突っ込んできたことを思い出した。ここ数日、人の声と生活音のみだったなぁ、としみじみ。さて、イヤホンとプレーヤーをくっつけて、何を聴こう。何を・・・。
「野狐禅」
ね、元気になってきたでしょ。福子は野狐禅聴けるくらいにまで回復しました。プレーヤーに、ここ数年で出会ったツアーミュージシャンのおんがくを入れてくればよかったと、ちょっと後悔している。なぜなら、入院してから浮かぶ唄たちときたら、彼らの唄ばかりだから。
さて、夕飯も食べたし、寝るまでは生活音と「天才」にしよう。
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